あけましておめでとうございます。
ことしもどうぞよろしくおねがいします。
昨年末に観たNHK「みんなのうた」で知った曲があります。
だれが歌っているのかもわからず聴きはじめたのですが
途中、こころの底からフツフツと、なにかが沸くような感覚がありました。
モノクロのアニメーションで主人公は黒人の青年
ところどころで彼に似た母親らしき人がうつります。
どうやらこのおかあさんはとても苦労したらしく
そしておかあさんの支えは「息子のうたう歌だった」という内容でした。
わりと暗めのイントロではじまり、歌も押さえ気味ながら
曲が進行するうちに、なんともいえない味わいを出しています。
そして最後に「うた:ジェロ」
えーーーーー



ジェロ

ぜんぜんわかんなかったーーーーー

さらにおどろいたことに「作詞作曲:中村中」
えーーーーー



そうだったのか



以下ジェロ氏のブログから転用です。
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この「晴れ舞台」という歌は、お母さんへの感謝の想いを歌った歌です。
僕の両親は、僕が幼い頃に離婚したために、ずっとお母さんとおばあちゃんが僕を育ててくれました。
週末になるとお母さんと一緒におばあちゃんの家に行って、三人で日本から送られてきた
紅白歌合戦のビデオを観たり、カラオケで演歌を歌ったりして過ごしました。
僕に演歌を教えてくれたのはおばあちゃんですが、お母さんも負けないくらい演歌が好きな人で、
僕にたくさんの歌を教えてくれました。日本から遠く離れたピッツバーグで、
お母さんとおばあちゃんと僕で「三人カラオケ」をした日々は、僕の永遠の宝物です。
将来演歌歌手になるという夢ができたのも、この日々がきっかけです。
お母さんは、日本人であるおばあちゃんとアメリカ人であるおじいちゃんとのハーフで、
戦後まもないアメリカで生きていくのは、とても大変なことでした。
いじめのような事もあったと聞いています。ですが、僕にはそんな事をほとんど言わないのです。
本当に明るくて、楽しくて、そしてやさしいお母さんなんです。
今も当時の大変だった日々の事について、お母さんは多くを語ってくれません。
昔の事を聞いても、「忘れちゃったねー」とか「そうだったかねー?」なんてとぼけるのですが、
本当はどれだけ大変だったか僕は知っています。
でも、苦しい事を周りに言わず、いつもポジティブで、前向きなのです。
お母さんのその気持ちが無ければ、僕は、日本に来て演歌歌手をめざそうと
思わなかったかも知れません。そして、演歌を教えてくれたおばあちゃんへの想いは
いろいろなところでしゃべっていますが、どこかで、お母さんへの感謝の想いを歌にしたいと
ずっと考えてきました。
この「晴れ舞台」という歌は、その事を僕が直接シンガーソングライターの中村中さんに相談して、
中村さんが作ってくださった歌です。忙しい中にも関わらず、僕の想いをすべて歌にしてくれました。
感謝しています。そして、いつかお母さんの目の前でこの歌を歌いたいと思っています。
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上記の内容を知らなくても、この楽曲はすばらしいです。
でも知ったら、中村中氏の作家としてのすばらしさと、ジェロの無限の可能性が更にわかりました。
しかし中村中・・・・ほんとうにすごいなぁ。
わたしが敬愛してやまない「中島みゆき」のあとを継ぐ人は、このひとなのかもしれません。
才能溢れる作家と歌手のコラボを目の当たりにし、久しぶりに胸が熱くなりました

「晴れ舞台」
http://jp.youtube.com/watch?v=ZE-nZqx_EQw&feature=related
- 2009/01/09(金) 00:51:27|
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| コメント:2
久美子さん、初めましてKyoといいます。
僕も中島みゆきの昔からのファンですが、中村中を知ってからこの人の魅力に
とりつかれてしまいました。
作家としてだけでなくシンガーとしても、どれだけあるのって位いろんな声もってます。
またお邪魔させてもらってもいいですか?
- 2009/01/12(月) 01:27:36 |
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- kyo #-
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Kyoさま
こんにちは〜
中村中氏は変声期時代に歌手生命の危機を感じた結果、作家として生きようと
たくさんの曲作りをしたことが、作品の幅をひろげたと話していましたよ。
そしてその変声期を経たからこそ、たくさんの音色をもった声なんだろうとおもいます。
すごいヒトです。
- 2009/01/12(月) 23:09:43 |
- URL |
- kimmy #-
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