お盆を過ぎたら、ずいぶん過ごしやすくなりました。
お盆はめずらしくお休みをとって、お墓参り。
久しぶりに木更津へ帰省しました

もう実家もないけれど、やはりここはわたしが育った町。
なんだかほっとしますね〜
目に入るモノをいちいち焼きつけたり、感慨にふけったり・・・
それだけ経験が心に溜まって、感情が豊かになったのね(笑)
ひとはそれを「年とった」というけどさ・・・
お墓参りをした日は、奇しくも終戦記念日の8月15日。
母方の父(つまりおじいちゃん)はこの太平洋戦争に召集されて
ビルマで戦死しました。
遺骨はみつからなかったため
あくまで慰霊碑というカタチでお墓になっています。
年に3〜4回はお墓まいりをするのですが
終戦記念日に行ったのは初めてでした。
「さぞ賑やかにお花やお供えがあるのだろう・・・」という予想とは裏腹に
すっかり枯れてしまったお花が2把だけ添えられていて、びっくりしてしまいました。
あわてて持ってきたお花をかざり、お線香をそえた時に気がついたのです。
終戦63年、戦争で家族をなくされた方々もご高齢で
亡くなられた人もたくさんいるのだろうと。
戦死した祖父は26歳だったそうで、母は生まれたばかり。
とうぜん顔も憶えていないそうです。
出征するさいに撮った写真が仏壇にあるのですが
なんとわたしにそっくりなのです・・・
一度も会ったことのない祖父だけど、強烈な結びつきを覚えました。
当然のことながら、祖父は生きて帰りたかったでしょう。
母の顔も見たかっただろうし、抱きしめてもあげたかったろうなと想像すると
若くして亡くなった祖父の分まで、精一杯生きなくてはとおもうのです。
そしてたくさんの先祖が犠牲となった戦争や原爆を忘れないことが
亡くなっていった方々の供養にもなるはずだと。
後遺症に苦しむ方々も、まだまだこの日本にもいらっしゃいます。
だから風化させてはいけないのです。
終戦直前の8月9日、長崎で被爆し背中に大火傷を負って生死をさまよった
谷口稜曄さん(当時16歳)という方がいらっしゃいます。
http://base.mng.nias.ac.jp/k1/tani.html
http://www.nhk.or.jp/peace/library/200096.html
現在も背中に大きな後遺症を背負ったまま、核兵器廃絶を世界に訴えています。
この方の存在を知ったわたしは「この出来事を風化させないために曲をつくろう」とおもいました。
しかし・・・死ぬよりも辛い体験をして、いまも皮膚の移植手術を続ける谷口さんをおもうと
「安易なものはつくれない」と結局2年が過ぎてしまいました。
そして昨年・・・やっと詞が書けました。
曲もつけて、今はライブごとに歌っております。
ライブに来ていただいた時は、どうぞ思い出して聴いてください。
同じ過ちを繰りかえさないように・・・
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「赤い背中の少年」詞 高橋久美子 曲 森下寿一
焼けた背中を引きずり あてもなくさまよう
ただ水がのみたくて 黒い人波かきわける
自転車に乗り走った まだ見ぬ自分をさがした
戦争が終わると信じて この世の果てがくるとは知らず
赤い背中の少年 貧しくとも笑っていた あの日の君はいない
赤い背中の少年 人が人を殺めても 時がたてば消え去る世界
赤い背中の少年 痛み続くいのちでも あの日を伝えるために
赤い背中の少年 深すぎる爪あとを だれもが忘れないように
- 2008/08/20(水) 01:36:56|
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